撮影後の深夜、それでも一眼レフカメラを必ず手入れしてしまう理由

休日の撮影を終えて家に帰り着く頃には、体も足もすっかり疲れている。バッグを下ろし、玄関で靴を脱ぐとき、首や肩に残るずっしりとした重みが、いつもより一段と重く感じられる。本音を言えば、カメラをバッグに入れたまま、そのまま布団に潜り込んでしまいたい。撮影後のカメラのお手入れは、疲れた体にとっては間違いなく「面倒で、やりたくない作業」そのものだからだ。つい後回しにして、明日やればいいじゃないかと悪魔の囁きが聞こえることもある。しかし私は、どんなに眠くても、その日のうちに必ずカメラを取り出す。薄暗いリビングにぽつんと灯りをつけ、シーンとした無音の空間の中でカメラと向き合う。その一見すると無駄で面倒な時間の中に、ただの片付けではない、次の良い一枚を引き寄せるための心地よい時間が流れている。

薄暗い部屋の無音の中で、ずっしりとした機材と向き合う片付けの始まり

撮影から戻ったばかりのカメラは、どことなく外の空気を含んでいて、手で触れるとほんの少し埃っぽかったり、季節によっては冷たかったりする。いつもより重く感じられるその機材を、私は慎重にリビングのテーブルへと運ぶ。

家族が寝静まったあとの部屋は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。テレビもつけず、ただシーンとした物音ひとつない無音の状態。普段の生活や仕事では、効率を最優先し、無駄な時間は一秒でも削りたいと考えている私が、このときばかりはあえて時計を見るのをやめる。この無音が、疲れた頭にとても心地よく染み渡っていく。

バッグのジッパーを開け、今日一日を共にした一眼レフカメラと、新しく買い足した望遠レンズを机に並べる。手入れを始めるためのメンテナンス用具を手に取るとき、やはり頭のどこかで「面倒だな」という思いは消えない。それでも、ここでそのまま放置してしまわないのは、この道具をこれからもずっと大切に使い続けたいという、自分なりの静かな意志があるからだ。スマホのようにポケットに放り込んで終わりにはできない、手がかかる存在だからこそ、この薄暗い部屋での儀式のような時間が始まっていく。

傷をつけないようにと息を潜める、変わらない丁寧さの心地よさ

子供が生まれたばかりの頃、綺麗な写真を残したくて恐る恐る初めての一眼レフカメラを触っていた時期のことを、手入れをしながらふと思い出す。当時はクリーナー液を綿棒につけるだけでも、機材を壊してしまわないかとビクビクしていたものだ。

何年も使い続け、レンズを買い足した今では、道具の扱い方にもずいぶんと慣れが出てきた。それでも、レンズの表面に傷をつけないようにそっとクロスを滑らせる緊張感や、細かな埃を吹き飛ばすためにブロアを何回も何回もシュシュと吹くときの丁寧さは、昔も今も全く変わっていない。むしろ、カメラへの愛着が深まった分だけ、埃を一つも見落としたくないという気持ちは強くなっているようにさえ思う。

「良い写真を撮るためには、カメラのコンディションを常に最高に良くしておかなければならない」

誰に教わったわけでもないが、私は心の中で勝手にそう信じている。YouTubeの動画を見て設定を勉強しても、いざ現場に行くと頭が真っ白になって忘れてしまうような私だからこそ、道具のコンディションだけは自分の手で完璧に整えておきたいのだ。レンズのガラス面にブロアの風を当て、光に透かしながらチリが消えていくのを確認する。その単調で静かな作業を繰り返しているうちに、日中の撮影時のバタバタとした高揚感が、ゆっくりと凪いだ、落ち着いた感情へと変わっていく。

面倒くささの先にある、高かったけれど買ってよかったと思える確かな安心感

綺麗に拭き上がったカメラ本体に、手入れを終えた望遠レンズをカチリと装着してみる。表面の曇りがすっきりと取れ、部屋のわずかな光を反射して黒く光る機材を見つめていると、胸の奥からじわじわと嬉しさが湧き上がってくる。

それは、次にカメラを持って出かけるとき、ドアを開けた瞬間に「いつでも気持ちよく最高の状態で使い始められる」という確かな準備が終わったことへの安心感だ。もしここで手入れをサボってバッグに仕舞い込んでしまったら、次に使うときにレンズの汚れを見て、きっと楽しい気分の出鼻をくじかれてしまうだろう。未来の自分が気持ちよくシャッターを切るための貯金を、今この面倒な時間を引き受けることで行っているのだ。

ピカピカになった一眼レフカメラを両手で包み込むように持つとき、毎回決まって頭に浮かぶ言葉がある。「高かったけれど、本当にこのカメラを購入してよかったな」という想いだ。

効率やコスパ、手軽さだけで選んだものなら、ここまで自分の体を酷使してまで手入れをしようとは思わない。高いお金を払って、自分の意志で手に入れ、苦労しながら背景のボケ味をコントロールできるようになった相棒だからこそ、手入れをするだけの価値がある。

明日のための準備を終えて、静かに防湿庫の扉を閉める

すべてのメンテナンスを終え、綺麗になったカメラを防湿庫の定位置へとそっと収める。カチャリと静かに扉が閉まる音を最後に、今夜のお手入れの時間は終わりを迎える。

時計を見ると、手入れを始める前よりも少しだけ夜が更けている。体は確かに疲れているけれど、机の上を片付け、メンテナンス用具を元の引き出しに戻す私の手足は、不思議と家に帰り着いたときよりも軽くなっているような気がする。ただ面倒な作業を後回しにせず、自分の手でやり遂げたという小さな満足感が、心地よい眠りへと誘ってくれる。

明日からはまた、効率とスピードを求められる普段の会社員としての日常が始まる。無駄なことはしたくないと割り切る世界へと戻る前に、この薄暗い部屋で道具を労わった時間は、私にとって大切な心の余白だ。静まり返ったリビングの明かりを消し、明日もまたこの綺麗なカメラと一緒に、どんな景色に出会えるだろうかと想像しながら、寝室へと足を向ける。

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